こんにちは。
神奈川・相模原で自然栽培の野菜とハーブそして農業体験教室をやっている「すどう農園」です。
今日は焼き畑作業。
「無農薬の野菜づくり教室・さとやま農学校」の卒業生の方が手伝ってくれました。
オオブタクサが野放図に種を散らすのを防ぐこと、そして畑に可給態のミネラル(無機質)をあげることが目的です。
一昨日の雨と雪で草もやや湿っていて、その分だけ延焼のリスクが減って作業がしやすい。今日も気持ちの良い作業です。
こういった作業は無心になるので頭の中がすうっとします。
足の裏からノイズが放出されていく感じは、私のように毎日作業をしていても思うのですから、普段都会で働く方々にとってはかなりの効果があるわけです。それは私自身が都会で働いているときにしみじみ感じたことでした。休日に援農に行って帰ってくると、畑のリアリティと都会の生活との大きすぎるコントラストに呆然となった。その感覚が今の原点です。五感は正直なものだから、理屈ではないですね。
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このところずっと家と畑の往復なので、都会の様子はこうした機会に伺うことにしています。
外食にいっても、時短の影響で人手が減らされてしまって、そのぶん残った人が忙しくなり、お客さんに笑顔をつくる余裕もないこと、それはそうでしょう。朝から晩まで、背中を炙られるような心持で和めないことでしょうから無理もない。
ことさらな自粛に、いったい何の積極的な意味があるのか。自分が納得するかしないかに関係なく、そもそも納得できるかどうか、そこまでじっくり深く追求することもなく、決まったことだからとにかく守るべしという日本人にありがちな順守の姿勢は、自縄自縛の形で世間をたわめているようです。
だからせめて、外に出よう。
広々と太陽や風を感じて、マスクなどはずして深呼吸。再生。
度重なるアルコールですっかり無菌状態の廃墟にされてしまった手のひらを土にあてて、命を感じよう。
できるところから脱していこう。
さとやま農学校はあくまでも自給のための野菜作り教室ですから移住などのトピックに踏み込むことはありません。ただし個別なアドバイスは受けていますが、さきざきの移住まで考えて農学校に参加される人たちが年々増えてきています。都会の外側にいることで見えてくる流れもあるのです。
朝令暮改の政府の言葉は片方の耳だけ貸せばいい。
もうひとつは別の声を、もっと深い声を聴くために使おう。