すどう農園のご紹介とプロフィール

「すどう農園」は神奈川県の相模原市(旧相模湖町)で自然農を営んでいます。およそ2ha以上の農地と加工場があって、3つの柱で活動しています。

 

①森の落ち葉や緑肥で野菜や果樹・ハーブを育てる自然農。
農薬も化学肥料も除草剤も動物性の厩肥も一切使いません。周囲にあるものを活かし、自然の理に沿って人が動く。無理なことも無駄なこともしない農業です。野菜の販売は2022年からやめています。すべて農園に来てくださる皆さんとシェアもしくは「こども食堂」などへの無料の提供です。フレッシュハーブは季節の折々に通販で販売しています。フレッシュハーブの通販は、旬の一時で終わってしまうので、見逃挿すのが心配な方は、下のフォームからメールマガジンをご登録ください。

② 都市と農的生活をつなげる講座
「さとやま農学校」

「さとやま草木譜」(2022開講)

など、農的生活の豊かさ・楽しさをお伝えしています。里山という場所の意味についてはブログ「里山という場所の意味」に書きましたので、ご一読ください。
 

③ 無添加の食品加工。
この道30年のベテランスタッフ・淡谷さんと二人三脚です。無添加の加工品(ソース・シロップ・ジャム)を製造しています。各地の作り手の皆さんとの協同作業や、小ロットの委託加工も受託しています。農家さんが一般に加工の委託をする場合、かなり大きなロットでないと作ってもらえないのが実情です。しかも無添加などの注文を付けることも難しいですから、そうした方はどうぞご相談ください。

(代表・すどうあきら )

東京荒川区という下町で生まれる。
公害が世間を賑わせていた時代に物心がつき、小学校のころから緑に寄り添う暮らしをしたいと願う。
80年代に千葉大学園芸学部で育種学を学ぶ。既にこのころ、世界各地で過剰な開発によって、貴重な在来種が消えつつあることを知る。なんとか消えゆく野菜を守る生き方ができないものかと思う。

その一方で旅が好き。見知らぬ野菜に出会うことも夢見て主にアジア各地を旅しました。
今のような「在来種」という言葉がほとんど知られていない時代でしたが、世界各地を巡る中で、伝統的な野菜や植物の遺伝資源が失われつつある様子を見ました。山奥の村に行っても、日本の種苗会社の種子が売られている様子はなかなかショックだったわけです。

大学の授業とは別に、農薬も化学肥料も使わない「有機農業」を知り、埼玉や千葉の有機農家さんを折々に訪ねるなかで、将来をどうしたものかと考える。農家でない人間が就農できる余地は、今以上に狭かった時代でもありました。
海外とのつながりも、もっと深めたいとも悩み・・・卒業後は海外協力団体(NGO)のスタッフとして農業協力に携わりながら自給的農業へ惹かれていくのでした。s

 

しかし、アジアの農村で自立を目指す人たちと東京の生活の往復は、東京の自分の暮らしに矛盾ばかりが感じられて「他人の国のお手伝いよりもまず自分が自立しないといけない」という想いが日に日に強くなり、かなり自分自身が厳しい精神常態に追い込まれました。東京駅の地下通路で歩くこともできなくなって立ち止まってしまったこともあります。この時期は決して愉しい経験ではありませんでしたが、長い人生の中で、意味のある経験だったと思います。やはり人は、苦しいことも経て、そこを抜け出たところに、ひとつ新しい境地にたどり着けるのではないでしょうか。

その後は埼玉県小川町での有機農業の研修生になりました。さらにそこから天然酵母パンの草分け「ルヴァン」を経て、石窯のパン屋を神奈川県の旧藤野町で開設。ここでようやく、自分が自然界とつながる実感を得たのです。すでに30代になり、決して早いスタートではありませんでしたが、いま振り返れば、それまでの道筋にはすべて意味があります。無駄な時間はなかったといえます。その後宮古島で介護事業所と畑をやるという濃密な2年間を経て相模湖に戻り「すどう農園」を設立。

ここまでの道のりは紆余曲折、枝分かれ、行きつ戻りつの迷い道でした。それは今も続いています。
そんなすべてを受け入れてくれる里山世界をありがたく思います。これまでの色々な経験を活かして、都会の人たちに里山の多様性の豊かさや愉しさを伝えていきたいと思っています。 
著書に「いまどきの海外協力」(岩波ブックレット)「石窯のつくり方・楽しみ方(農文協)」など。

2021年のオープンファームの模様です。
映像ディレクターで、現在はイギリスのトッテナム在住の常井美幸さんが撮影・編集してくださいました。
常井さんにはジェンダーの問題を扱ったドキュメンタリー「僕が性別0に戻る時」というお仕事もあります。


すどう農園のメールマガジンへのご登録はこちらからお願いします。 メールアドレスを入力してお申込みください。