すどう農園にとって、種取りはとても大事なことです。
種取りを知ったきっかけは、私が千葉大学園芸学部で学んでいた1980年代にさかのぼります。NHKスペシャルで「一粒の種が世界を変える」という番組がありました。世界中で、昔から栽培されてきた在来種が開発や市場の寡占化で激減していること。種こそは、生物の多様性を支える「遺伝子資源」であるのに、それが枯渇する危機に直面していること。そうして一方で野菜だけでなく、コメに関しても雄性不稔を利用した交配品種の話。すなわち雄性不稔なので実っても発芽能力がない、つまり毎年種もみを買い続けなければならない米ができつつあること、などでした。種こそは、何とかして自分がかかわりたい世界だ。と、理屈抜きで感じたものでした。
そうして私は育種学の研究室に入り、国連のFAOでも委員をされていた故・飯塚宗男先生に師事しました。世界各地の遺伝子資源の状況を、豊富なフィールドワークをもとに話される中で、遺伝子資源の豊かな中南米やヒマラヤ山麓などでは、急激な開発で遺伝子プールが枯渇していく様子を教わったのでした。
もう少し加えるならば、欧米は数世紀も前から植物の遺伝子資源の重要性を、戦略的な意味でも認識していて(何しろ資源ですから)国家レベルでそうした資源の収集・保存に力を入れてきました。ペリーが浦賀に来た時に植物学者を同行していたのは有名な話ですが、そこにもつながります。かたやソ連も、バビロフという歴史的な植物学者が世界的に収集探索を行っていて、世界中の膨大な種子を保存したセンターもあったのですが、スターリンの時代にルイセンコという学者の姦計(かんけい)でバビロフは失脚し、種苗センターそのものも破壊・粛清されて貴重な資源が塵芥に帰したという時代もありました。
ですから、種子を一か所に集めるというのは、人間による消失のリスクもあるのです。やはり、小規模に分散されていること、国家や企業といった形の、恣意的なコントロールの及ばない形で人々の手で、種が続いていくことが望ましいのです。ところが、いまこうして農家になってみると、実際に種を取っている農家などは日本国内で0.1%もいません。それがいけない、というのではありません。なぜなら「売るための商品」として野菜を作る以上、収量が多くて病気にも強い、出荷しやすい形に揃っている交配品種を使うことは、市場出荷するためには無理もない部分もあるのです。逆に言えば、そもそも在来種の多くは商品ではなかったのです。
もっと根本的に言えば、専業の野菜農家というのは、江戸や大阪、宿場町などを除けば、せいぜい古くても、ここ100年くらい前からやっと出てきた新しい商売です。このことを意外に思う人も多いのですが、米と違って野菜農家は新しい商売なのです。なにしろ戦前まではほとんどが農民だったから、野菜は自分で食べる分くらい誰でも作っていて、お金で売り買いするものではなかったわけですね。漬物くらいは売っていましたが生鮮野菜となるとなおさらです。在来種は、あくまでも自給のために栽培されていたものがほとんどです。それこそ庭先のような無理のない規模で、手仕事で種取りがなされてきたのです。だから、日本で在来種が減ってしまった最大の原因は、市場流通の規格化というよりむしろ、種を自給する人が減ったことにあるのです。
自給で野菜を作りたい人が増えてきました。これはとても素敵なことですし「さとやま農学校」も自給を応援する場として活動しています。だからこそ。食の自給は種の自給から、種を守ることは自分で少しでも自給をすることから、と何度でも繰り返して呼びかけたいのです。
2019年現在、「すどう農園」で種を取って保存してある固定腫・在来種は数十種類になります。毎年冬になると、そうした種の目録の整理に取り掛かります。種の多くは「さとやま農学校」の修了生の皆さんが「種取り隊」として活動する中で残してくださったものです。あるいは「さとやま農学校」の授業の中で種取りをしたものもあります。また、種ではありませんが、里芋、キクイモ、エビ芋、イチゴなどの栄養系もあります。種は、固定腫をよそから持ってきて種取りを繰り返すことで、数年かけてその土地の風土に根づいていきます。ですから「在来種」「固定種」の種を買って栽培するのは、あくまでも第一歩です。その野菜から種を取り、何年も続けることに意味があります。野菜は収穫して枯れてしまったらオシマイではありません。次のイノチが種に宿されてつながっていきます。まさに、過去と今と未来をつないでくれるものが種なのです。何より大事なことですが、元気で美味しい野菜から種を採ると、翌年の種は市販のものよりも明らかに逞しく美味しく育ちます。別の土地で種取りされた種とは、そこが違うのです。
現在の私たちを取り巻く問題の多くは、いろいろとありますが、その多くは「つながり」が感じられない。「関係」がうまくいかない。というところから来るものと思います。人間同士の関係も、自然界との関係も、食べ物との関係も、「私自身」とのつながりが見えない・関係がうまくいかない・・・そこに不安を感じるのではないでしょうか?だから、何かひとつでもつながりを取り戻す。そのひとつが、種なのです。私が学生時代に「種」の一言に貫かれるような衝撃・魅力を感じたのも、いま思えばまさにそこにあったのでしょう。
(それぞれの写真をクリックすると説明が出ます)
皆さんも、一緒に種取りをしてみませんか?といっても、いきなり種取りを始めるのは簡単ではありません。種取りとは、イノチをを大事につなぐということです。基本はなによりも、生命力のある野菜を育てることからです。土に触れる基本から種取りまで「さとやま農学校」で学ぶことができます。詳しい説明はこちらです