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古代人の太陽崇拝に思う

こんにちは。

 

神奈川・相模原(相模湖)で自然栽培の野菜やハーブを育てながら農的暮らしの講座を開催している「すどう農園」です。

 

間もなく立春のこの時期の夜明け。我が家の窓からだと7時ちょうど頃です。ここの標高は300mほどですが、相模湖から立ちのぼる朝霧が雲海のようにたなびいて見飽きることがありません。かつては元旦でも畑に来ていたので、初日の出がどこの山から何時何分に拝めるか、それも分かるようになりました。その逆もしかりで日時計のように大体の時間を知ることができます。山に囲まれた暮らしというのは、その意味で非常にランドマークが多いので天界の月日の巡りを伺って暮らすのが難しくありません。依りどころがたくさんあるわけです。30年近く前に関東平野からこちらの里山に越してきてそのことを五感で感じました。逆に2年間ほど宮古島に暮らしていた時、あの島は一番標高が高くて80mくらいしかないので、どこに感覚を置いていいかわからなくて困ったものです。触角を切られた昆虫みたいに方向の掴み方がみえない。ところが島の人たちは凄いもので、東西南北が身体に備わっているのです。「誰それの家はどこそこから南に行く」とか「東に行く」という表現がごく普通に出てきます。太陽が東の海から出て西の海に沈むまで頭上にある島だからこそでしょう。それほど太陽の軌跡が長いから、おのずと身体のどこかで太陽と自分の位置関係を意識できるのですね。同じような広大な場所に生まれ育った人は、世界中で同様ではないでしょうか。
いまよりも遙かに太陽に敏感であった(そうでなくては生きていけなかった)古代の人達は、平野でなくとも、さらに繊細なレベルで太陽の動きや時間を察していたことでしょう。緯度経度の位置を割り出すのも、そうやって測りだしたことと思います。あるいは冬至を過ぎると日照時間がごくわずかに伸びたのを見逃すことなく察して太陽の復活・再生を祝う祝祭になった。太陽神ミトラの祝祭がローマ帝国によってキリスト教に吸収され、やがてクリスマスになっていったのも典型ですが、世界各地に、日本にも一陽来復のような形で太陽を寿ぐ祝祭は多くあります。 

古代人ほどではなくとも、農業をやっていると太陽や月の満ち欠けには敏感になります。ですから去年の猛暑も覚えていないような都会の人に会うと(実際に少なくないですね)言葉が出なくなるのです。まあたしかに、家から地下鉄に乗ってビルの中で働いて・・・というような繰り返しだとそれも無理ないかもしれません。でも、こんな気象変動の激しい時代には、それだからこそ五感をもっと開いたほうがいい。そうでないと、大げさでなく「まともに人間として生きていけない」時代になっています。「すどう農園」が都市と農的暮らしをつなぐ講座を各種やっているのも、自分自身が首都圏に生まれ育って自然界とのつながりが少ないままに過ごしてしまったことにルーツがあります。

首都圏から日帰りの農業体験・さとやま農学校」に加えて「さとやま農学校・初夏のショートコース」も始まります。緑萌えるハーブ園でハーブの旬を味わってください。「さとやまオーガニックガーデン」ではナチュラルスタイルのガーデニングがプロのガーデナーから学べます。

「相模湖まで来るのが難しい」という方には「街で自然農@世田谷ものづくり学校」があります。都心とは思えない素敵なエアポケット空間で野菜や果樹に癒されてください。「手仕事」の一人者で、とても気さくで楽しい石田紀佳さんの「てしごとワークショップ」とご一緒できます。

「仕事の帰りに家庭菜園や醗酵食のことを学びたい」という方には国分寺カフェスローにて「さとやま農学校@国分寺カフェスロー」があります。毎回、種や醗酵素材でワークショップをしながら、講座のない日はSNSも使って、皆さんの「都会でできる農的生活」をフォローします。和気あいあいとした講座です。

農的暮らしの始め方、様々です。今年から第一歩を始めましょう。