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里山という場所の意味

新しい年を迎えました。皆様、どのような新年をお迎えでしょうか。こちら関東はつつがない暖かい空でホッとしています。今日のような安らかな気持ちでこれからもいたいものですが、さてどんな年になるでしょうか。昨年の歴史的な異常気象は、おそらく今後も続くことでしょう。たかが空模様と侮れない時代になりました。そしてそれは、いまこの国に住む私たちの世界観、生活ビジョンにも人それぞれに変化を与えているように思えます。ことさら大きな話をするつもりはありませんが、この里山(相模湖)は、東京の西端・高尾山を越えたところにありますから、大都会の風向きの変化の兆しは、むしろ都会の真っただ中にいるよりも敏感に感じられるものです。

「もう都会は限界」と感じる人たちが、農園に今まで以上に来るようになったのは2011年の東日本大震災からですが、ここにきてその流れはさらに顕著になってきたようです。「できるだけ早く、たくさん、質の良いもの(商品やサービス)を、安く」というこれまでの価値観は「合理主義」と相まって、至上のルールになっています。ところが、その合理一辺倒が行きついて行き詰って挙句、「どうやら人間そのものが不ぞろいで合理的でない」となってきた。つまり人間が人間を合理的でないとして切り捨てるようになってきた、そういう時代を、とりわけ40代以下の人たちは感じています。そうして見渡せば、社会を満たして個々人を支えるはずの骨格にあたるものが(例えば地域だったり会社だったり家族だったり)、どうやらとても脆いものであること、危なっかしいこと、頼りきれないものであることを肌身に浸みてきている。それは、私自身がかつての、それこそ当時は景気が絶好調ではあったのですが、そんな時代の都会で感じたこととつながってくるのですが、そこで話は「里山」に戻ります。

上の写真は農園の一部です。農道を挟んで両側にイノシシやシカを防ぐためのネットがあって、農道は台風で傾いた桑の大木をくぐって行き止まりになります(この桑の実を5月に収穫して、加工場でジャムにしています)。そこまでが「すどう農園」のエリアです。桑は別にすれば、作っているものは主に野菜ですから、だいたい時間の物差しが数か月のサイクルです。さらに奥にはウドやタラの芽などの山菜があり、お茶畑やユズなどの果樹園があります。どれも多年草ですから、時間のサイクルが3年から20年くらいになってきます。
 

さらに奥は、かつて炭を焼いていた名残のナラの木が生えています。いわゆる「薪炭(しんたん)林」という里山を特徴づける森です。これは一度伐っても、切り株からまた新しい芽(ひこばえ)が出て育ち、およそ18年から20年で伐採される太さに育ちます。かつて薪炭林は大体そのサイクルで山を一回りしながら冬になると材を切り出していたそうです。つまり時間のサイクルが20年前後。さらに奥には、材木にするための杉やヒノキの針葉樹が生えています。戦後まもなくの頃から植林が始まり、残念なことにその多くは今では手入れもされることがなく、荒れてしまっているのですが、仮に伐採して材木が出荷されるとして、そのサイクルがおよそ50年ほどです。
 

こういう具合に、里山には時間軸が複数あります。ひとつだけではない。いまの都会のように3か月ごとの決算に追われるばかりでなく、自分の植える木が、孫子の代にようやく収穫できるという「先送り」の思想につながるような長いサイクルもあるのです。しかも家族単位でみれば「なりわい」もまた複数あります。季節によって「なりわい」の内容が変わり、ひとつの生業がうまくいかなくても、別の形で補えるような、今風に言えば「分散型のリスク回避」がなされてきたわけです。会社というものは非常に歴史の浅いものであることは、考えてみれば誰でもわかることですが、現代の平野ではその会社にすら切り捨てられることが常態化しつつあるなかで、こうした里山的な複層の生き方はとても示唆するところが大きいのです。
 

都会から違う世界にシフトしたい、という人が増えてきたものの「どうすればいい」という黄金律はありません。田舎暮らしの情報もインターネットやSNSでは却って多すぎて混乱しがちです。むしろスマホを閉じて、森や里山で静かに手を動かすか、あるいはぼうっと空を眺めるか、それだけでもずいぶん世界の見え方が違ってきます。なにがしかのヒントが「落ちてくる」こともあります。
 

関東平野・首都圏はおよそ3000万人が生活する、これほどの規模は中国の一部にしかない、もはや異常ともいえる空間です。ここで生まれ育ってしまうと簡単に別の世界に移行できない、そんな怖さもあります。だからこそ、せめて里山は、こうした平野の生き方を「平野ばかりが世界の物差しではないよ」と静かに差し示す空間なのです。