満州ノオト②・引き揚げを巡る本

円生と志ん生  井上ひさし
赤い月     なかにし礼

14歳     澤地久枝

野獣死すべし  大藪晴彦

満州ノオトの続きです。
満州「国」は、日本の無条件降伏とともに消滅しました。というか、そもそも満州を国家として認めなかった諸外国にとっては日本が植民地。偽装国家だから、もちろん今は満州などという名称は地名にすらないわけですが、朝鮮半島を含めたいわゆる「外地」から引き揚げてきた数百万の胸中にはそれぞれの形で、満州も朝鮮も存在していて、私たちが今追体験できるものはその中のごくわずかでしかないけれど、あるわけです。外交上の戦争は講和条約に調印して終わるけれども、人間にとっての戦争は、その人が死んでも終わらずにつながっているということを、お恥ずかしながらこの歳でしみじみ実感します。今この時代ならば、それはなおさらだ。
 

井上ひさしさんの最晩年の作品は小林多喜二を取り上げた「組曲・虐殺」に至るまで敗戦前後に舞台設定を集中しています。戦場ではない戦争を切り取る目線。書かずに死ねない態の仕事だったのでしょう。


「円生と志ん生」 落語会の巨匠二人は、満州を慰問中に敗戦。そのまま引き揚げを待つ身となった日々の戯曲です。
基本的なことだけれど、敗戦国の一般市民は軍人ではないので形ばかりとは言え外交条約で人権が保障されている捕虜とは立場が違うわけです。どう違ってどんな処遇を受けるのかなど、誰にもわかろうはずもなし、そもそも市民を守るはずの関東軍も官僚も真っ先に逃げてしまった文字通りの空白。これは覚えておくべきことで、いまなお在る「軍隊がなくて国が守れるか」という議論にはそのまま「いまの軍隊は、国を守れるのか」という言説が立つべき。歴史に学ぶ限り、他国はともかく、この満州を含めた日本の精神風土には、市民を守る軍隊というのは歴史上なかったのではないか。そして、これからありうるのか?どうか。

 タイトルの二人に限らず、慰問中に敗戦を迎えた文化人はほかにもいて、たとえば藤山寛美さんは奉天で慰問中に16歳で敗戦を迎えています。そしてシベリアに二年間抑留され、その後ハルピンでのバーテンなどを経て帰国とあるけれど、その間の様子などを記したものが今のところ見当たりません。寛美というと戦後の借金王のイメージばかりが先行するけれど、16歳で迎えた敗戦は、どんな気持ちだったのか。どうやってシベリアの抑留を生き延びたのか。
 

この投稿は、さらに続きます。とりあえず今日はここまで。