満州「国」に関わっての読書をここ数年続けています。
ことの起こりは雲仙・タネトの奥津典子さんが故・船戸与一の最後の作品「満州国演義」を紹介されたところからですが、単行本で9冊の長編を読み終えてさらに満州に関わる数冊を読みつぎながら、今の時代、自分につながるストリングスを自分なりに編み上げています。これをつまりどう表現すればいいか、切れた数珠を手繰る想い、という喩えは分かりにくいでしょうか?
歴史というのは、若い頃に学ぶよりもむしろ、人それぞれに時代を経験してから解釈するほうが、我が身に引き寄せて考えられるものです。
そして昨年は、いつか再読したいと思っていた五味川純平の「戦争と人間」を、kindleのおかげで数十年ぶりに再読了できました。関東軍による張作霖の爆殺から満州事変、日本の敗戦と満州「国」の霧散まで。この全巻は「満州国演義」よりもさらに長い。三一書房の新書で18冊あった。余談ですが、これほどの大著を置いておく余裕が、物理的な意味だけでなく、かつては町の小さな本屋さんにもあったのですね。いまは取次から押し付けられるままに知性も志もないヘイト本まで置かざるを得ない不毛の時代。
「戦争と人間」の本編を厚く支えるのが膨大かつ詳細な資料の脚注で、2・26事件のくだりは脚注の方が多いほどですが、この資料助手は澤地久枝さんによるものです。中学生の時になぜか本屋で呼び寄せられるように読みはじめて、全巻が出来する大学時代まで数年係で読んだものでした。覚えている箇所が随所に懐かしくもあり、それ以上に今になって見えてくる「時代」の姿もあります。だから本当は自分なりの「満州ノオト」などをまとめたいのだけれど、断片でメモを書くのが精一杯かな。