イソップ物語の作者もギリシャの奴隷だったことを最近知った。
アンティゴネやオイディプス王が書かれるより少し前の紀元前、イソップは奴隷で、最後は死刑に処されたらしい。ギリシャ悲劇と同じように人間の原型を書ききっているから、イソップ以降の物語はどれもこれも、イソップの切り株から伸びた枝葉に過ぎないかと思える。
江戸時代にポルトガルの宣教師が天草のコレジオ(学校)でローマ字にしたものを更に日本語に翻訳したのが江戸・万治年間の「伊曽保物語」で、これは庶民向けに読みやすい。
たとえば有名な羊と狼の話。
川辺の子羊を食べようと、狼が近づいて難癖を並べるところが,子羊は賢くて勇気もあり、臆するところなく毅然と狼を論破する。そして。
狼、申しけるは「汝、何の故に悪口しける」と怒りければ、
羊、「我、悪口を言うにあらず。その理をこそ述べ候へ」といひければ、
狼の云く「詮ずる所、問答を止めて、汝を服せん」
(お前はどうして口ごたえをするのだ?)
(どこが口ごたえでしょうか、説明してください。)
(いいから黙れ。問答は無用だ。お前を食う。)
最後の台詞は、明治の版では以下のようにある。
「所詮問答は無益じゃ。何であろうともままよ。是非に汝をば、我が夕飯にしようずる」
夕飯にしようづる、というシズル感あふれる翻訳は、広辞苑を編纂した顕学・新村出博士によるもので、当時33歳。
万治年間の版に戻ると、さらに最後をこう〆る。
その如く、理非を知らぬ悪人には、是非を論じて詮なし。
ただ、権威と堪忍とをもって、むかふべし。
(このように理非のわからぬ悪人に道理は通らないものだから、権力権威で屈服させるか、我慢して耐えるしかないものだ)
これはいまなお、人間同士だけでなく大国と小国のやり取りにもあてはまるものですね。
時代が変われば変わるほど、いよいよ変わらないものがある。
当時のギリシャには、まだアリストテレスが出てきていないから「幸福を目指して生きる」という言葉はなかったのだろう。
これが人間だ、と呟いて物語を書き留めた奴隷の胸中はどのようなものだったのか。