マダケの皮で中華ちまきをつくる

下駄を投げてお天気を知るように暮らし

あれはあれで良かったと 言ってみるけれど

      ~「時よおやすみ」 中山ラビ

 

 

お互いの貧乏を切り拓くために事業を始めようじゃないかと、夜更けのファミレスで鳩首を寄せた結論は屋台開業というシンプルなもので、それならいっそ世界各国の料理が食えるように屋台を百カ国ぶん百台つくろうか。その百台を縦一列に揃えよう。デビューは代々木公園のメインストリートの、夜明け前の朝霧の立つ頃でどうか。

ということで意見一致。

いま思えば「屋台村」を先取りしていたね。

しかし、一台を注文して10万円の屋台を百台も作るような金も人間もない。そもそもカネがないから仕事を始めるのだもの。

まずは一台から、飯は何をつくるか?そこで中華ちまきを提案したのは誰だったか?

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中華ちまきに限らず、竹の皮はマダケを使います。

いま農園の外側から際限なく地下茎で攻めて来るマダケは、例年ならイノシシがタケノコを掘り返してくれるのだけれど、昨年から豚・イノシシの伝染病が流行して、哀れイノシシもだいぶ死んだようだ。

おかげでマダケが旺盛に伸びたので、買えば一枚で数十円する竹皮もずいぶん取れた。ついでにマムシや蛇も、この夏は敵なしの青天井で類を増やしたところ。

集めたマダケの皮を、濡らして干して、伸ばして使う。

中身はシンプルでいい。八角は効かせるけれど養殖の小海老は食べないことにしているから使わない。牡蠣油は使わずにナツメを使う。天然由来の回春剤として。

 

 

屋号を「水月屋(くらげや)」と命名されたリヤカーのボディーには龍が舞うゴージャスなものだったから、新宿区の保健所に許可申請に行ったときも担当のおっさんたちが面白がって激励してくれた。

屋台で米を使うのは足が早いので不許可と言われたけれど「これはもち米だから餅菓子ということで」とネゴってOKになった。ちょうど銀座で酔客相手の磯辺焼きの屋台が流行っていた頃で、あれも本来はNGだったのが急に増えてしまって既成事実になっていたらしい。鷹揚な時代。

そんな屋台は、街で行き交う人たちも振り返ってくれたが、目立つことと売れる売れないは別の話で、儲かりましたと言えたものではなかったな。それでも屋台そのものが禁止されている今から思えば良い時代だった。

顧みていま、この時勢、元祖オープンエアーの屋台を喫緊に当局は許可すべきだ。キッチンカーなんて金はかかるし天井は低くて暑くて腰が痛い。屋台のほうが余程いい。夏は水に浮かべた白玉に甘茶、冬は煮売りに熱燗となれば鬼平犯科帳ワールドだ。

 

 

氷河時代に大柄の恐竜は死に絶えるなか、その足元をかいくぐって走り回っていた人類の先祖の、まだネズミの風情だった哺乳類は生き延びた。小さいことの、それゆえの勁(つよ)さというのは今も昔もあると思う。

この期に及んでなお経済大国に戻ろうとする未練懇情は、頭の中が明治維新のままの古い船乗りに預ければいい。

新しい海に漕ぎ出す若い水夫には、小さく軽い舟も良かろうと思うのだけれど、どうだろう。

以上、須藤章の個人FBから転載