敗戦日記を読む・2回目

「いらっしゃい。ご注文は?」

「生ビール抜きの餃子セットをひとつ」

「おそれいります」

「仕方ないよね。このご時勢だ」

「まったくです。それでじつは…」

「なにか?」

「いま生ビールの仕入れを止めているんです。このご時勢ですからね。

なので代わりに、瓶ビール抜きの餃子セットでもいいでしょうか?」

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東京が米軍に空爆された後の一瀉千里の焼け跡にも「国民酒場」というのが随所に残っていて、銀座だったり浅草だったり、トタンで囲まれたバラックや廃墟のビルの暗がりでは、配給券と引き換えに麦酒や酒が飲めたらしい。その様子は「敗戦日記」で高見順が克明に記しています。歳上の作家、中野重治までが四十過ぎて徴兵をかけられる中での後ろめたさ、不安を抱えながらの、これは命がけのルポルタージュにもなっています。

ほぼ毎日の空襲警報のたびに電車は止まり、解除になればまた動き出す(この運転士さんたちも凄い)。その間隙に人が集まり、なけなしのつまみで飲む。酒ばかりではなくて銀座には老舗の資生堂が健気に甘味処を守り続けていて、ひきもきらず列をなしていたらしい。ろくな食料もない時代の、どんなレシピだったのか。今は今で資生堂も大変だろうけれど。

 

内田百閒の自宅は、当時の陸軍士官学校つまり今の防衛庁界隈にあったのが夜中の空爆で焼夷弾の降る中を逃げ歩いた。片手に下げていたのが僅かな酒を残した一升瓶だったと「東京焼儘(しょうじん)」に書いている。埋火が散らばる神田川の土手に力尽きた夜明けに飲み干した酒に感嘆をあげている。掛け値なしのオー・ド・ヴィ。こちらは五十代だ。

 

写真は畑のウドを剥いてバラ肉を蒔いただけの炭焼きです。味付け無用。

立夏を迎える五月のバーベキューの定番です。