梅雨はノカンゾウの咲く季節。
「中華の高級食材」という形容詞が誰彼なく交わされるのだけれど、若い頃に逍遥したアジア各地の中華街でノカンゾウと出会っていたかどうか、記憶は脆い。
バンコクやサイゴンに比べるとクアラルンプルの中華街はこじんまりと落ち着いていたから、華僑専用の商人宿に投宿していた。ほの暗いフロントに色白のマダムが帳簿をつけている宿を選ぶのがいい。はじめは断られても、どうか泊めてくださいと筆談で懇願するやり取りが愉しい。一階がそのまま菜館で、遅い昼飯をマダム手製の雑炊と白酒で取りあううちにスコールが始まる。
マダムは習い事をなさっているようだった。胡弓を抱えたお師匠様らしき男性が笑顔でお見えになり、お二人は奥の小部屋でレッスンを始める様子なので吹き抜けの二階へ午睡に籠る。
鉄筆で曳いたような直線ばかりの太い雨。
軒垂れる雨音の合間にレッスンのパートが繰り返されて、お師匠様が朗々とバリトンでアドバイスされるところをマダムの清澄な笑い声が転がるように応えて愉しそう。
スコールは凄い勢いだけれど時間帯がおおむね決まっている。
本来は日本の驟雨も同じで、俗に「七ツ下がりの雨」と言ったのは、午後4時過ぎての雨がことさら激しいことから転じて、真面目に生きてきた人ほど人生の昼下がりに魔が刺して、色恋や博打で一切合切を踏み外すような土砂降りをやらかす。
白酒にまどろんで気が付くと静かだ。
雨筋を縫っていた音色も二人のやり取りも、いつの間にか聞こえない。
ずいぶん短い時間のレッスンのようだが・・・もしかすると。
お師匠様は、なにか別の手ほどきをなさっているのではなかろうか。
楽器を爪弾くはずの滑らかな指で、違う世界を奏でておいでではなかろうか。
昼下がりに耳を立てる野暮はないから、突っかけたゴム草履でドブ板を踏んで飲みなおし。
夕暮れの狭い中華街を行きつ戻りつ、白酒の酔歩は蹣跚(まんさん)ばかり。
旅の記憶はそのあたりで途切れていて、手から口に運んだ皿や丼のどこに金針菜(ノカンゾウの花)があったやら。
そのノカンゾウが雨しだれの里山で盛りです。
蕾を縦に割った切り口の秘めた紅がいいのですが、小さな花芯を見ると咲くべき命を頂いてしまう後ろめたさがある。花を食べる時はいつもそう思います。咲いた花は鮮やかすぎる橙色で、これはユリ科にありがちな厚化粧。食卓には禍々(まがまが)しいから水に晒したすっぴんがいい。刺激のある辛味も流せます。ノカンゾウの食べ方は砂糖抜きの二杯酢がお勧めです。体に滞る水分も雨の憂鬱も落としてくれそうです。
あと二週間後は「すどう農園」のハーブガーデンのオープンファームなのですが、それまで花が咲いているかどうか、ちょっと厳しいかな。入れ替わりにローゼルが蕾を漬けています。