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子ども食堂に野菜を届ける

こんにちは。

神奈川・相模原の里山で自然農を営む「すどう農園」です。

冬野菜の出荷が始まっています。ダイコン・ミズナ・カブ・サトイモなどなど。日毎に寒くなる、その寒さを糧に、ぐうんと伸びてきます。春とは違う嬉しさがあります。
「すどう農園」では、野菜は販売していません。自然農で育てた野菜はすべて「こども食堂」などに無償で提供しています。
調布・仙川の「みんなの家」、相模原市「若者・子ども支援課」、市内のNPO「フードコミュニテイ」さんなどを通じてのお届けです。

私の育った時代は「1億総中流」と言われたものでした。外国旅行に行けばアジアの各地で Why Japan is rich? と尋ねられたものです。それはとても一言で答えられる質問ではないし、そもそも空いてのいうrichとはどういう意味なのか、その確認からはじめなければいけないし。うーん、と旅の先々で腕を組んで答えを考え込んだものでした・・・が、気がつけばこの国には、いまや格差と分断が慢性疾患のように根を生やしてしまいました。戦争や内線、麻薬といった明らかな要因があるのでなく、それでいてどうにも困難な世相。これは今度は外国の人にどう説明できるのでしょうか?

 

まあ外国はさておいて、今自分にできることは、格差と分断を形づくる「お金」を介さない交換の仕組みを続けることと思います。「お金」歯交換のツールとしては非常にチカラが強いものですが、これだけでは通じないもの、お金では交換できない物事も多々あるわけで、そこは別の交換・共有をしていかなければならない。当たり前のことを行っているようですが、このところの値上がりの世相の中で、だんだんリアルに感じてくることでしょう。
大事なのは「お金」で評価できる価値もあれば「お金」で数値化できない価値もあって、状況に応じて両者を使い分けたほうが良いということなのです。特に食料の場合には、数値化出来ない部分が多い。だから数値化できる部分だけを金額として表示してしまうと、それ以外の部分が見えないままに手を離れていくのですね。
 そんなことも感じながら、それならばいっそのこと、譲ってしまえ。という事になりました。
 この辺はまた、改めてブログに書きます。まず今日は一回目として。

 

今多くの人が野菜を自給したいと思っているのも、やはり野菜などの小さな命が持つ価値が、お金で変えられないと思ったからではないでしょうか。


今年は「さとやま農学校」で野菜をつくりながら数字に出来ない価値のことをゆっくり考えてみませんか?